生きるっていうのは、
常に何かを犠牲にしているんだな
と最近よく思う。
こうして毎日御飯を食べられていることも。
こうして毎日歩いていられることも。
こうして毎日楽器を弾いていることも。
この世にぽとんと生まれたその日から
私の犠牲は出続けているんだなと。
それで大事なのは、
犠牲にしているものやことに気付いて、
そのこと自体をじっと見詰めて、受け止めて、
「ありがとう」と言ってから
そのあと、
それ自身に償うのではなく
まずは自分自身に、それから
犠牲にしているもの以外の自分とは違うものに、
注いで、満たして、温めることなのかも
しれない。
生きる事は、罪ではないと思う。
だから、償ってはいけないんだと思う。
償おうとすると、償えなくなる。
償うことは、想像よりもずっとずっと難しい。
だからこそ、
もらうよりも与えることが大事で、
与え続けることが大事で、
闇を見詰めても、闇の中にいても、
光を求めることが大事で、
黒を知った上で、白を描くことが
大事なんだと思う。
それは、白ばかりを夢中に描いている
のとは、全く違うこと。
子供の時と、今はやっぱり違う。
今と、死ぬ時は、やっぱり違うんだろう。
生まれた時は、誰でも真っ白で、
色々覚えて、学んで、歩んでいくと、
色んな色が重なって、色々混ざると、
そのうち、みんな黒くなる。
黒くなると、いくら慌てて白を塗っても
なかなか白は取り戻せない。
そうか、慌てるからいけないんだ。
時間をかけて、少しずつ白に
近づければいいんだ。
いつか死ぬその時まで。
たとえ真っ白になれなくても、
それはそれできっと幸せ。
白に方向が向いているから。
大事なのはどこにいるかよりも、
どこに向かっているか。
自分を白く塗ってくれるもの、
白い絵の具、それに出会ったとき、
人は、感動し、共感し、揺さぶられて
満たされて、漂白されるのだろうな。
それは、
人であるかもしれないし、
音楽であるかもしれないし、
絵であるかもしれないし、
自然であるかもしれないし。
それに、気付けることが、
気付く自分でいることが、
大事であり、そうでありたいと思う。
などとぶつぶつ考えたここ数日。
常に何かを犠牲にしているんだな
と最近よく思う。
こうして毎日御飯を食べられていることも。
こうして毎日歩いていられることも。
こうして毎日楽器を弾いていることも。
この世にぽとんと生まれたその日から
私の犠牲は出続けているんだなと。
それで大事なのは、
犠牲にしているものやことに気付いて、
そのこと自体をじっと見詰めて、受け止めて、
「ありがとう」と言ってから
そのあと、
それ自身に償うのではなく
まずは自分自身に、それから
犠牲にしているもの以外の自分とは違うものに、
注いで、満たして、温めることなのかも
しれない。
生きる事は、罪ではないと思う。
だから、償ってはいけないんだと思う。
償おうとすると、償えなくなる。
償うことは、想像よりもずっとずっと難しい。
だからこそ、
もらうよりも与えることが大事で、
与え続けることが大事で、
闇を見詰めても、闇の中にいても、
光を求めることが大事で、
黒を知った上で、白を描くことが
大事なんだと思う。
それは、白ばかりを夢中に描いている
のとは、全く違うこと。
子供の時と、今はやっぱり違う。
今と、死ぬ時は、やっぱり違うんだろう。
生まれた時は、誰でも真っ白で、
色々覚えて、学んで、歩んでいくと、
色んな色が重なって、色々混ざると、
そのうち、みんな黒くなる。
黒くなると、いくら慌てて白を塗っても
なかなか白は取り戻せない。
そうか、慌てるからいけないんだ。
時間をかけて、少しずつ白に
近づければいいんだ。
いつか死ぬその時まで。
たとえ真っ白になれなくても、
それはそれできっと幸せ。
白に方向が向いているから。
大事なのはどこにいるかよりも、
どこに向かっているか。
自分を白く塗ってくれるもの、
白い絵の具、それに出会ったとき、
人は、感動し、共感し、揺さぶられて
満たされて、漂白されるのだろうな。
それは、
人であるかもしれないし、
音楽であるかもしれないし、
絵であるかもしれないし、
自然であるかもしれないし。
それに、気付けることが、
気付く自分でいることが、
大事であり、そうでありたいと思う。
などとぶつぶつ考えたここ数日。
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by yurunikki
| 2006-09-03 04:46